「あなたに合った学習法」にこだわらない 本当に大切なのは好奇心を維持すること
近年、勉強の効率を高める方法として、その人の得意とするものを活かしたいわゆる「あなたに合った学習法」に注目が集まっています。確かにそのアイデアは悪いものではないのですが、その限界も知っておいたほうが良いでしょう。
あなたに合う3つの学習法
「あなたに合う学習法」の一つ目は、視覚的な学習法です。目で見た情報を扱うことが得意な学習者は、その長所を活かして、文字や写真などを多く見ることで効率良く学習できます。二つ目は聴覚的な学習法です。耳で聞くことが得意な学習者は、文字を読むより人の声を聴いたり自分で声を出したりする学習法によって効率良く学習できます。三つ目は触覚的な学習法です。このタイプの学習者は、自分の手を動かしたり、体を動かしたりすることで効率よく学習できます。
「あなたに合った学習法」はモチベーションを保つのに役立つ
残念ながら「自分に合った勉強法」は、試験の結果にはつながらない可能性が高いです。試験で結果を出すための学習法は暗記とテストを繰り返す方法が最も効果が高く、学習者のタイプに応じて学習法を変えることは結果を改善することにつながりません。
一方で自分に合った学習法は勉強へのモチベーションを保つ上では有効です。あなたが何かを学習するとき、それが記憶として定着するかどうかは、あなたがそれにどれほど興味があるかに左右されます。あなたが学習している内容に強い興味を抱いていれば、その内容は記憶として定着する可能性が高く、興味がなければいくら勉強しても記憶に残ることはありません。
従って勉強する上で大事なのは、「自分がどの学習法に合うタイプなのか?」を考えるよりむしろ、「どうすれば、自分が覚えなければならない学習内容に興味を抱けるか?」ということなのです。
実際、英語の歌を覚えたところで、その歌詞の内容が試験に役立つ可能性は低いでしょう。しかし、耳で聞いて英語を覚えられたという経験は、英語を学習するためのモチベーションを育てる上で役に立ちます。ただし、それはあくまで間接的な効果でしかないことも理解する必要があります。
キライなことにだって価値はある
高校生が勉強したがらない教科の代表格と言えば古文・漢文ではないでしょうか?昔の人の意味の分からない文章を読まされて、ちっとも面白くない。言いたいことはとても良く分かります。
現代人が昔の人の文章を原文で読むことに意味があるかどうかという議論はさておき、高校生が志望する大学に進むためには古文・漢文の試験で点数をとらなければなりません。しかしながら、やってもつまらない作業に時間を費やすことは単なる苦痛でしょう。
古文・漢文を勉強する理由は外国語を勉強する理由と似ています。英語を勉強する上で大切な要素は、住む場所が違う人々が私たちとはまったく異なった言語を用いて、異なった視点からこの世界を見ているという事実を学ぶことです。私たちは外国語を勉強することで、より多角的にものごとを捉える幅広い視野を手に入れることができます。古文・漢文も同様に、時代の異なった人間の言語を学習することで自分の視野を広げることができるのです。
つまらないことに楽しみを見つける才能
学校で学ぶ教科にはいくら理屈を言われても納得のいかないものがあるでしょう。それは誰もが考える普通の感覚です。だからと言って、入試で必要なのだから勉強しないわけにはいきません。世の中は不条理なものですね。
ところで、私が指導してきた生徒の中に難関大学に進んだ生徒がいます。そうした生徒が他の生徒と違うところを言えば、そうした生徒は大抵好奇心のかたまりであるという点です。そうした生徒はとにかく、どんなことも知りたがります。意味がないから知らなくて良い、という考え方は彼らには無いようです。
上に述べたように、学習した内容が記憶として定着するかどうかは、本人の好奇心に左右されます。好奇心に差別のない人間はあらゆる教科に興味を抱くので、結果として試験で優秀な成績を収めることになるのです。
結論はつまらないものです。学習の効果を決定する要因とは、その対象に好奇心を抱けるかどうか、その好奇心を維持するための適切な学習方法を用いているかどうかなのです。
このことは、あなたが現実の社会に飛び出したあとでさえ重要な意味を持ちます。世の中のほとんどの仕事は、あなたが何の努力も無しに受動的な姿勢で向き合うなら、やる意味の見出せない退屈なものばかりです。しかし、あなたがその退屈な作業の中に何らかの楽しみを見出すことができれば、あなたはその仕事を苦労を伴いながらも何とか続けていくことができるでしょう。
古文や漢文がつまらないと言う気持ちは分かります。しかし、それに正面から向き合いじっくりと取り組めば、つまらないことの中にもそれなりに楽しみを見出すことはできるのです。あなたは古文・漢文の文法や単語を覚え文章を読み進めていくうちに、その中から現代の私たちと同じ側面を発見し、同時に、彼らが同じ人類にも関わらず私たちとまったく異なったものごとの捉え方をしていることを発見するでしょう。そうした発見の中で、私たちは学習の楽しみを見出すことができるのです。また、たとえそういう発見が無かったとしても、今日は古文単語を3つ覚えることができた!というような小さな成果でも、自分の成長を見出し喜びに変えることができるでしょう。
意味のないと思える勉強があったとしても、私たちはその中で自分を成長させることができます。自分自身を見つめ、自分の中に毎日起きている変化に気づくこと。そして、それを自分の成長としてポジティブに捉えることがあなたが勉強を続けるモチベーションになるのです。
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