勉強ができるとはどういう状態か 処理速度のアップグレードこそが全てのカギ

算数・数学の教育業界では「中一ショック」という現象が知られています。「小学生のときには算数はそれなりにできていたはずなのに、中1になってプラス・マイナスが出てきたら突然つまずいた。」というケースはしばしば見られるものです。確かにマイナスの概念は大人でも説明が難しいことがあり、負の数の概念をいかに上手に理解させるかが重要なポイントであると推測されます。私たちがこうした問題を解決するためには、どのような課題設定をすべきでしょうか。この記事では、脳のオーバーフローとマルチタスクに焦点を当てて解説していきます。

計算が遅い小学生は中1で突然つまずく

しかしながら、いつまで経っても負の数の計算ができない生徒がいる一方で、多少の練習を積めばほとんどミスなく計算をこなしてしまう生徒もいます。

実はこの両者において概念の理解レベルに差があるとは言えません。端的に言えば、中学1年生が負の数の概念を深いレベルで理解していることなど滅多にないのです。それでも実際に計算をさせてみると大きな差が開いてしまいます。

差が開いてしまう原因は基礎計算力の違いです。負の数の計算ができない生徒は、そもそも小学校の基本的な四則演算がスムーズに処理できないことがほとんどです。深刻な場合には小学校2、3年生レベルの計算でもミスを連発することがあります。一方で、大抵の生徒は基礎計算がまったくできないというほど深刻ではありません。問題は計算のスピードで、基礎計算であっても小学生の間で問題を解き終える時間に数倍の開きがあることはむしろ普通です。

学校のテストでは計算の遅い子どもでも解き終わるように時間が与えられているので、処理速度の違いは点数にはあまり反映されません。そのため、将来のつまずきの要因が見過ごされてしまうのです。

処理速度が遅いとオーバーフローを起こす

このことはコンピューターのCPUに例えることができます。CPUが低速なコンピューターで重たい動画編集ソフトを動かそうとすると、動作が遅いどころか頻繁にアプリケーションがシャットダウンします。要求された処理がCPUの限界を超えてオーバーフローを起こしているのです。

負の数の計算ができない中学1年生の脳の中でも同じことが起きています。負の数の計算とは、小学校の計算+負の数の概念という2つの作業を行うことです。つまりコンピューターでいうならマルチタスクに相当します。

基礎計算の処理速度が遅い生徒は、その基礎計算で脳の処理能力を使い切ってしまうので、負の数の概念を処理する余力がありません。脳がオーバーフローを起こしているのです。

一方で、基礎計算の処理速度が速い生徒は脳に余力があるので、余った処理能力を負の数の処理に回すことができます。結局、負の数の計算と言ってもタスクとしては条件に従って足し算と引き算を入れ替えて符号の操作を行っているだけなので、意味が分かっていなくてもちゃんと正しい計算結果を出すことができるのです。

一見すると、負の数の計算ができない生徒がいれば、その生徒に如何にしてマイナスの概念を理解させるかが課題であるように思えるかもしれません。しかし実際の問題は負の数を処理するだけの余力がないことであり、小学校で学んだ基礎計算の処理速度を改善することが本当に取り組むべきことなのです。

難問かどうかはマルチタスクのレベルで決まる

数学の勉強が進んでいくと、マルチタスクの処理能力の差はますます大きく影響します。中学、高校と学年が進むに連れ、より高度なマルチタスクの処理能力が要求されていきます。

いわゆる基本問題というのは学校で習った知識を一つだけ使って解くものです。これは処理としてはシングルタスクに相当し、処理速度が遅くても何とか対応可能です。一方で応用問題と呼ばれるものは教科書で習った複数の知識を組み合わせて解答を導きます。実際のところ、1つの問題で必要な知識が3つになった時点でほとんどの生徒はつまずきます。これが4つ、5つまで来ると難関校の入試問題レベルです。そのため通常は1つの問題を複数の小問に分割して生徒の脳がオーバーフローしないように調整します。

勉強では基礎の反復が大切だと言われますが、それはトレーニングによってシングルタスクの処理速度を上げ、脳内でマルチタスクを実行するための余力を確保することが狙いです。従って単に基礎問題をだらだらとやるのではなく、処理のスピードアップを意識してトレーニングすることが大切です。脳の処理能力に余力が生まれるようになってはじめて次のレベルの問題に対処できる、というのが原則です。

英語ができないのもオーバーフローの問題

英語ができないという悩みも、その多くは脳のオーバーフローと関係しています。特に高校生になると長文が難しくて読めないと悩むことが多くなるでしょう。

英語も単語→文法→長文と段階的に複雑なマルチタスクの作業を要求されます。ここでも基本となるシングルタスクの処理速度がマルチタスクの処理能力を制限しているのです。

「学校の単語テストは毎回クリアしているのに長文が読めない。」というケースがよくあるのですが、これも上に述べた小学校の算数の話と似ています。単語テストでは単語に対する反応速度が遅くてもテストそのものは突破できますが、単語に対する反応速度は生徒によって大きな違いがあるのです。

単語に対する反応速度の違いは、文の理解力に反映されます。例えば、英語にまだ慣れていない中学1年生でも通常は単語3つ程度の英文で理解につまずくことはありません。しかしそれが中学2年生ごろになると、1つの文が7つや9つの単語で構成されるようになります。平均的な中学生が英語につまずき始めるのは単語5つで構成される文あたりからです。単語ひとつひとつの意味は思い出せても反応速度が遅いため、複数の単語が並んだ時点で脳がオーバーフローを起こしているのです。

日本語と英語は語順が異なるため、頭の中で意味を組み立てていく際に何度も前の単語、後ろの単語を参照します。特に慣れないうちは前後の情報を参照する回数も多くなりがちです。しかし、そのとき単語の意味がひらめくまでのスピードが遅いと、情報を参照する度に余計な時間が加算され、文の単語数が増えれば増えるほど幾何級数的に処理時間が増大するのです。英語を指導している側の脳がこの程度の英語でオーバーフローすることはないので、生徒たちがほんのちょっと単語の数が増えただけで突如として英文が読めなくなる現象はなかなか理解できないかもしれません。

単語に対する反応速度は「ほとんど瞬時に」が基本です。ところが、実際の中高生を見ると、一つの単語の意味を思い出すのに5秒かかる生徒は珍しくありません。そのため、中学2年生ごろには英語の授業についていけなくなる生徒が続出することになるのです。

「使い物になる単語力」を考えた時に様々な条件があるかもしれませんが、まずは「瞬間的に意味がひらめく」というのが一番大事な要素です。

英語ができない生徒が生み出される仕組み

日本人は英語が苦手で、学校で何年も習っているのに英語ができないのはおかしいという批判をよく見かけます。これには納得のいく点と、無理を言っている点があります。

日本の英語教育は技巧主義に偏っているところがあります。特に高校英語では文法の細かなニュアンスの違いに過度にこだわったり、現実の英語として使用頻度が極めて低い表現を入試の必須事項として教え込んだりという風景は、昔ほどではないと言っても相変わらずです。その上、ネットを開けば「その英語はご法度だ。ネイティブならこう言うのだ。」という類の情報が洪水のように溢れています。もちろんそうした情報は無益ではないのですが、現状の日本人の英語力を鑑みて課しているハードルの高さが非現実的であることも知っておいて良いでしょう。

高校生の英語力の低さを理解したいなら、実際に生徒と英会話をしてみれば分かります。彼らはネイティブっぽい言い回しができるかどうかなどというレベルではなく、中学生レベルの基本的な英会話すらほとんどできないくらいで普通です。

英会話とは瞬間的に言葉を組み立てるタスクです。英語の定期試験でそれなりの点数を取ってくる生徒でも、こうした処理速度重視のタスクをこなすトレーニングはほとんど行っていません。相手に十分な時間を与えれば反応することもできますが、瞬時に答えることができないのです。ここでも処理のオーバーフローの問題が影響しています。

今の日本においてテストで優秀な成績を収めているのに会話ができない高校生とは、いわばハードディスクは500ギガあるのにCPUが大昔のCeleronだった、みたいなものです。悪い面ばかりではないかもしれないが結局は使えない、という結論に至ることになります。

子どもの英会話スクールは価値がある

こうしたオーバーフローの問題を回避したければ、小学生のうちに英会話スクールに子どもを通わせることには価値があります。英会話スクールでは、英語に対する反応速度を上げるための基礎的なトレーニングが充実しています。今では公教育でも小学校の英語の教科化が進んでいますが、残念ながら発展途上段階であるため英会話スクールには及びません。

子どもを英会話スクールに通わせる上において、あまり条件にこだわる必要はありません。ここで重要なのは言語のタスクに対する処理速度を改善することであり、講師がネイティブであるかどうかというような要素はあまり重要ではありません。講師が日本人で正直英語の発音が下手くそでも、徹底した反復によって基礎的な英語に対する処理速度が上がれば、その後の英語学習の効率は大幅に向上するでしょう。英会話スクールを選ぶ際にはスクールの細かい良し悪しよりも、継続して通う上で負担が少ないかどうかを考慮した方が良いでしょう。質がイマイチでも、英語のシャワーを大量に浴びた人間はそれ以外の人間より遥かに英語の能力が向上するものなのです。

私も昔は、「小学生に英語を教えて意味があるのか?」と懐疑的な考えをしていましたが、小学生の頃から英会話スクールに通っていた生徒たちの英語の吸収力の違いを見せつけられるに連れ、自分の考えを修正する必要に迫られています。基礎の反復はそれほど重要なのです。

思考力重視という誤解

近年、大学入試制度改革が進む中でよく思考力重視という言い方がされています。従来の暗記重視の在り方を見直そうという動きです。

この流れを受けて、「思考力の育成が大事」、「暗記は役に立たない」という誤った解釈が広がりつつあることを懸念します。

こうした解釈は課題意識の方向性がズレています。この文章で私が指摘している課題とは、人間の脳におけるオーバーフローの回避とマルチタスクの実現であり、思考力と暗記を背反関係として仮定することは課題設定に問題があると思われます。

思考力重視と謳われた大学入試改革ですが、実際に提示された試行問題を見る限り、高度な思考力が要求されているようには見えません。ネットで情報を集めれば、識者からも「これで思考力を試していると言えるのか。」と苦言が呈されるほどです。

これには思考力に対する誤解があります。私が生徒を指導してきた経験を振り返れば、生徒に論理的思考能力を身に付けさせることは決して難しいことではありません。偏差値が40を下回る生徒でも論理的思考を理解することは十分に可能です。意外に思うかもしれませんが、暗記を要求するタスク、つまり経験値に基づく以外にない作業よりも、論理的思考によって突破できるタスクの方が圧倒的にハードルが低いのです。

論理的思考トレーニングは教育する価値が十分あります。誰にでも身に付く可能性があり、トレーニングが普及すれば日本の社会を大きく変革するインパクトを与えるでしょう。誰にでも理解できるのだから、それは日本の社会に幅広く深いレベルで浸透する可能性があるのです。

そう考えれば、思考力重視という考え方は決して悪いものではないのかもしれません。しかし、論理的思考トレーニングが誰にでも身に付くというのなら、それを試験として課したところで受験生同士の点数の差はほとんど開かないことになります。これでは合否を分ける材料としては役立たずのまま終わってしまいます。

いずれまたマルチタスクの話に回帰する

だとすれば、受験生の間で点差が開くような思考力を試す問題が求められることになります。おそらく将来的には学校や予備校で思考力を問う問題に対する対策が打たれることになるので、個々の論理的タスクはほとんどの生徒が突破できる状況が生まれるでしょう。そのような状態で受験生の間で点差を意図的に発生させるならば、複数のタスクを組み合わせた問題を解かせるのが最も効率的です。

さきほど、論理的思考トレーニングは誰でも身に付くと言いましたが、それはシングルタスクの話であって、マルチタスクではありません。受験生に課す課題を適度にマルチタスクを要求するものにしておけば、点差の開きを得ることができるでしょう。

そうした状況が生まれた場合、受験生がやるべきことは上に述べた通りです。単純なタスクに対する脳の処理速度を上げ、それによって生まれた余りの処理能力を別なタスクに振り分けることによってマルチタスクを実現する。現実の社会は複雑系です。常に現れる複数の因子を脳内で同時に処理するマルチタスクの能力こそが高度な思考力を実現するのです。

あなたの脳のCPUをCeleronからCore i7にアップグレードすれば、ややこしい理屈などなくても問題を解決する能力は勝手に付随してくるでしょう。一見矛盾するように見えるかもしれませんが、あなたが習ったことが理解できないと感じたときには、今まで習った知識を運用する処理速度を上げることで新たなことが理解できるようになります。高度な処理を実行したいなら、あなたの脳のCPUをアップグレードして下さい。それが最も効果的な解決策です。

そして思考力重視の教育が普及したときに、あなたはさらに高いレベルの思考力を要求されるようになるはずです。やがて処理速度の向上と問題解決能力の比例関係はあるラインで成り立たなくなる可能性があります。しかし、今の日本の教育の状況から言って、それはずっと先の話です(喜ばしいことではないのですが)。当面は思考力訓練の結果はあなたの脳の処理速度に比例するのです。そしてそれを実現するためには、基本の絶え間ない反復による徹底的なトレーニングが必要であることを忘れないで下さい。