ヒノキが歴史の謎を解き明かす 進む放射性同位体のデータ蓄積
地球温暖化は私たちの生活に大きな影響を及ぼそうとしています。日本でも気候変動による大規模な洪水被害が頻発し、私たちは住民が住む場所を失うような災害のニュースを毎年のように経験しています。しかし、気候変動は現代だけでなく2千年以上昔から人間の生活に大きな影響を与えていたことが調査によって明らかになりつつあります。
同志社大学の若林邦彦教授によると、日本人が弥生時代に稲作を始めたとき、人々は水田のある平地に住んでいたようです。しかし、気候変動により洪水が増えると人々は被害を受けにくい山間部に住居を移していきました。
”しかし、紀元前100年頃、状況は変わり始めまた。気温が下がり、雨が増えた。ますます多くの人々がさらに斜面の上に移り始めた。これは頻繁な洪水によって引き起こされた社会的混乱の形跡であると若林は言う。 特に5世紀は「非常に不自然な集落の極端な山への移動」が特徴であった。”
気候変動のデータを蓄積する
人々が水田から離れた場所に住むようになると、その地域の首長が水田を管理するようになり、日本は古墳時代に入ります。やがて7世紀ごろになると降水量は減りはじめ、人々は再び水田の近くに戻ってきます。この頃日本は飛鳥時代に入り、歴史における初期の国家の繁栄が始まったと考えられています。
このように過去の気候変動が人間の生活に影響を与えていたことが明らかになりつつあるのですが、こうした推測が可能になったのは日本の気候変動についてのデータの蓄積が進んできているためです。
気候変動のデータの提供に最も貢献しているのはヒノキです。ヒノキは湿地や古い寺社建築などから入手されています。そしてヒノキに残された酸素放射性同位体は湿度によって蓄積量が変わるため、その当時の気候を知る手がかりとなるのです。
こうして集められたデータは文献史料と比較され、気候変動が社会変化の一つの要因であると考えられるようになってきました。特に気温の変化が大きな時に社会の変化が引き起こされると推測されています。例えば平安末期の源平の争いは気温の低い時期から一気に気温が高くなった時期に起こっていますが、対照的に応仁の乱は気温の高い時期から低い時期に入ったときに起こっています。また、データで判明した気温の低い年と飢饉の記録がよく一致することも分かっています。
私たちは日本の歴史の謎に迫るとき、気候変動も考慮に入れる必要があるようです。
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