誰でも撃てる小型核弾頭は実在した→ただし,撃った人も死にます:冷戦期に配備されたデイビー・クロケット核兵器システム

地球上で最も恐ろしい兵器は何かと問われたら,多くの人は核兵器と答えるでしょう。大陸間弾道ミサイルによる核戦争の脅威は冷戦が終わった現在でも消えることはありません。

しかし,アメリカとソ連が核兵器の開発でし烈な競争を繰り広げた冷戦時代にはもっと危険な兵器が登場しました。今回紹介するのは,小型核弾頭搭載のデイビー・クロケット核兵器システムです。

デイビー・クロケットM28/M29

世界で初めて実戦で使用された核兵器であるリトルボーイとファットマンは1945年に日本の広島と長崎に投下されました。しかし,これらの核兵器は大きさと重量において決して扱いやすい兵器とは言えず,当時,これらを輸送できる航空機はB29だけでした。

その後,アメリカとソ連による核開発競争によって技術が進歩すると,より小さな核弾頭を製造することが可能になりました。1950年代になると,アメリカ陸軍は前線の兵士が持ち運ぶことができる小型の核兵器を開発し始めます。

数年に及ぶ開発とテストの結果,1961年にデイビー・クロケットと名付けられた無反動砲が陸軍に配備され始めます。

デイビー・クロケットは西ドイツから配備が始まり,その後,グアム,ハワイ,沖縄,韓国にも配備されました。小型核兵器はその当時起こった朝鮮戦争のような「小さな戦争」で活躍することが期待されていたのです。

デイビー・クロケットにはM28(写真)とM29の2種類がありました。M28は重さがおよそ84キログラムで,射程距離はおよそ2キロメートルです。一方M29は重さがおよそ200キログラム,射程距離はおよそ4キロメートルです。

ロケットはジープに搭載するか,地面に設置した三脚から発射する仕組みでした。搭載された核弾頭はTNT10~20トン相当で,これは広島に落とされた原爆の1500分の1から750分の1に相当します。

搭載された核弾頭にはスイッチがあり,弾頭が爆発する高度を選ぶことができました。他の核兵器と同様,核弾頭は目標物に衝突する前に空中で爆発する仕組みでした。発射スイッチはリモコン式で,兵士は少し離れた場所から発射スイッチを押すことになっていましたが,おそらくそれで安全性が確保されることはなかったでしょう。

最終的に,アメリカではこの小型核弾頭システムがおよそ2100器製造されました。

精度に問題ありのシステム

こうして,実戦で使える核兵器として登場したデイビー・クロケットですが,写真を見て誰もが察する通り,その命中精度はあまり高くなかったようです。精度が低くても核弾頭が放出する放射線によって敵にダメージを与えることができるならそれで良いという発想です。

しかしながら,M28の場合,射程距離が2キロしかない上に精度も低いとなれば,当然ロケットを発射した本人も被爆する可能性が高くなります。そのため,陸軍は山の後部斜面など,被爆を回避できる場所からロケットを発射することを推奨していました。

核弾頭には発射後に爆発をキャンセルする仕組みもありませんでした。一度発射したら最後,核弾頭の爆発は誰にも止めることはできません。

今から考えればいい加減としか言いようのない兵器ですが,当時は小隊長の権限で発射を命令することができました。大統領の許可を得ることなく,前線の現場の判断で発射することが許されていたのです。

核弾頭が爆発した場合に致死量の放射線がどの範囲に及ぶかすらはっきりしない。それは周囲の地形にも左右されるでしょうし,敵だけでなく撃った側の部隊も全員死ぬ可能性が十分ある兵器,それがデイビー・クロケットの実態だったようです。

全面核戦争の可能性

結局,デイビー・クロケットは実戦で使用されることはありませんでした。しかし,例え小型の核兵器でも,いったんそれを使えば相手国との全面核戦争の引き金を引くことになり,その当時から強い批判がありました。そのような兵器が各地に展開している現場の判断に委ねられていたのですから,現場の小さな判断ミスが世界を滅亡に導く可能性も十分あったのです。

幸い,デイビー・クロケットは1971年までにすべての配備を終え,いくつかは博物館の展示物として保存され現在に至っています。

デイビー・クロケットは,核兵器に対する人類の認識がどう変化してきたかを知る上での一つの重要な事例と言えるでしょう。