ラクダの輸送能力は軽トラ並み ラクダと人間の歴史

みなさんはラクダと言えば何を想像するでしょうか。日本人にとってラクダは動物園で見かける生き物で、時おり体験でふたこぶラクダに乗ることができる、というイメージかもしれません。しかし、中東地域に住む人々にとって、ラクダは長い間より実用的な動物として人間とともに暮らしてきました。

”今日に至るまで、ソマリ族はラクダに乗ることを拒絶しており、大きくてのろまな生き物では乗っている者が簡単に標的にされてしまうと信じている。今日、この地域は世界最大のラクダの生息地であるが、今でもそれらはミルクのためだけに飼われている。そして徐々に、人間はその動物の他の利用法を発見した。それはつまり、オスの肉や毛皮、オスとメスの毛、そして移動手段であった。 (名古屋大)”

ラクダと人の関係

ラクダは人だけでなく荷物を運ぶ上でも重要である。

もともと中東地域の人々が荷物を輸送するための手段としてラクダを利用し始めたのは紀元前 1500 年ごろです。それまでは主にロバが用いられていました。

ラクダはロバに比べ、悪路に耐え、より重い荷物を運ぶことができたため、やがて遊牧民が大量に飼育し始めます。一人の人間がおよそ1匹から6匹のラクダを率い、1トンから2トンの荷物を距離にして1日 30 キロから 100 キロ輸送することができました。もともとラクダの背中は大量の荷物を載せられるほど丈夫ではなかったので、骨組みと布を用いた専用の鞍が発達しました。これによってラクダ1頭当たりの積載量はおよそ 200 キロ以上、場合によっては 500 キロの荷物を運ぶことができるようになったのです。

現代の軽トラの積載量は 350 キロほどですから、積載量では軽トラに匹敵する能力があると言えるでしょう。

やがて、ラクダの飼育は中東地域だけでなく中央アジアにも広がっていきます。ヨーロッパと中国をつなぐシルクロードでも、ラクダは輸送手段として大活躍していたのです。また中東地域において、ラクダは貨物の輸送だけでなく毛皮やミルク、食肉としても活用されるようになります。その一方で中央アジアなどでは羊のように毛皮を利用するにしてももっと便利な動物が存在していたため、輸送手段以外の用途としてはあまり活用されなかったようです。私たちがラクダと言えば、中東の砂漠を隊商が率いて旅をしているイメージがあるのは、そうした自然条件と密接な関係があるのです。