地球をかけ巡るカカオの歴史 マヤ文明からスペイン、スイス、日本

カカオと言えばチョコレートの原料としておなじみです。カカオの実自体はもともと苦い味のするものですが、それにミルクを混ぜて甘いチョコレートを作り出したのはスイスです。それだけにスイスは今でもチョコレートを多く消費する国となっています。

”世界のあらゆる国際空港の土産物屋に行ってみよう。そうすればあなたは世界で有名なスイスのチョコレートが天井に届くかのように積み上げられているのを見るだろう。あなたにとって気候の寒冷な国が有名なチョコレートを生産できることを信じるのが困難だと思えるなら、次のことを考えてみよう。スイスは年間で日本の6倍、アメリカの2倍のチョコレートを消費しているのだ。(東海大)”

カカオが間違ってココアになった

カカオの原産は中央アメリカのメキシコ、グアテマラ、ニカラグア辺りです。この地域の人々は大昔からカカオの粉を水やコーンスープなどに混ぜて飲んでいました。古代マヤ文明ではカカオの神を称える儀式が行われるほど大切にされていましたが、その一方でカカオは社会的地位の高い人間だけが手に入れることができる品物とされ、一般庶民が育てたり食べたりすることは禁じられていました。また、カカオはマヤ文明の都市の間で貿易の対象として取引されていました。さらに、アステカ文明では通貨の一種として使われることがあったようです。

1492 年にアメリカ大陸に到達したコロンブスも、地域に広がるカカオ文化に興味を持っていました。その当時、人々はカカオの粉に唐辛子の粉を混ぜて飲んでいたそうです。

その後カカオがヨーロッパに輸入されるようになるのは 1600 年ごろで、カカオの発音が間違ってココアと呼ばれるようになりました。アメリカ大陸とヨーロッパでのカカオ文化の大きな違いは、アメリカではカカオは唐辛子などと混ぜて飲まれていたのに対し、ヨーロッパでは砂糖と混ぜて飲まれるようになったところです。そのため、もともと薬用や滋養の意味が強かったカカオはコーヒーのような嗜好品に変化していきました。同時にカカオは貴族階級だけでなく労働者階級の人々にも広がっていき、ココアの需要は急増することになるのです。

やがて南米の植民地化が進むと、ブラジルでのカカオの生産量が増加していきます。植民地を支配していたスペインにとって、カカオはタバコや砂糖に並ぶ重要な交易品でした。今日でもブラジルはカカオの生産が南米で最も多くなっています。また、カカオはアフリカにも移植され、その生産量は南米を大きく上回るようになりました。現在世界のココア生産の上位5か国を挙げると、コートジボワール、ガーナ、インドネシア、ナイジェリア、カメルーンとなっています。ブラジルは第6位です。この中でもコートジボアールの生産量が圧倒的に多く、全体のおよそ3分の1を占めています。

ミルクチョコレートの元祖はスイス

今の私たちが良く知っているミルクチョコレートは 1876 年スイス人のダニエル・ペーターという人物によって発明されたものです。あるとき、彼がミルクとアフリカ産のココアを混ぜ合わせてみたところ、非常においしい味のする食べ物ができあがりました。ダニエルの近所には、今やコーヒーなどの食品・飲料の世界的企業として知られるネスレの創設者アンリ・ネスレが住んでいて、ミルクチョコレートはネスレの商品として販売されるようになります。そこからチョコレートの歴史が始まり、スイスは人口一人当たりのチョコレート消費量が世界で最も多い国になりました。ちなみに生産量ではアメリカ、ドイツに続いて第3位になります。

日本のバレンタインチョコレートを始めたのはロシア人

日本で初めてバレンタイン用のチョコレートが売り出されたのは 1935 年のことで、神戸に本社を構えるモロゾフが初めてだと言われています(モロゾフは現在ではカフェやレストランを全国展開する企業として知られる)。会社の設立者はロシア人でした。もともと2月はチョコレートの売り上げが落ち込む月だったため、バレンタインという風習に絡めてチョコレートを売り出すという広告キャンペーンが考案されたのです。やがて戦後になるとバレンタインチョコレートを巡る販売競争が激化し、現在に至っています。