物質的豊かさと社会的公正 変化する「幸せ」の基準

今日、経済的発展を遂げた日本人は物質的には豊かな生活を送れるようになりました。しかし物質的な豊かさがその人の幸福とイコールか、と問われれば疑問に思う人も多いでしょう。このように経済的繁栄と人間の本当の豊かさについて考え直そうとしているのは日本人だけではありません。

“多くの貧しい人々は今やかつてより暮らし向きが良くなっていることは確かだ。しかし、単に貧しい人が自動車やテレビを持ったからというだけで、もしその人が莫大なぜいたくがまた可能である社会に住んでいるなら、その人の状態は必ずしも公正ではないかもしれない。実際、いくつかの社会や数世代に渡って調べてみると、豊かな者は豊かなままかより豊かになる傾向があり、一方で貧しい者は、自己責任に任され、貧困から抜け出すのに苦労している。”

貧困の捉え方の違い

国連大学の調査によれば、西暦 2000 年の段階で世界のもっとも豊かな 1 %の人々が世界中の資産の 40 %を保有していました。こうした格差が問題であるかどうかについては、意見が分かれています。

この格差を「相対的貧困」として捉える人々がいます。その人々にとって貧困とはあくまで「豊かな人々」と比べた場合の話であって、彼らは相対的貧困は本当の貧しさとは異なるものであると考えています。

一方で「絶対的貧困」というものも存在しています。世界には 1 日 2 ドル以下で生活している人々がおよそ 20 億人いると推定されています。こうした人々にとって貧困は相対的なものと言うことはできないでしょう。

確かに、毎年世界経済は目覚ましい成長を遂げており、特に東南アジアで絶対的貧困ラインを脱出する人々が大勢生まれています。その一方で、世界には「貧困とは単に見方の問題」で片づけることができないような人々も未だに大勢残されていることも忘れてはなりません。

豊かさの基準はお金から幸福へ

私たちがある社会を幸福だと考えるとき、その社会は将来にわたって安定した社会であるとみなされます。また、そのような安定した社会とは、所得水準や寿命によって決定されているのではなく、社会の公正さ fairness によって実現すると考える人々がいます。

ノーベル賞を受賞した経済学者のアマルティア・センは、発展とは自由の勝利であると述べています。豊かさは経済的なものではなく、より良い環境、より充実した家庭生活、より充実した余暇と言ったものによって実現されるものです。また、女性の政治進出が進むと国民の生活の質は向上する傾向にあるようです。女性の政治的自由もまた、新しい豊かさの基準を満たすために大切な要素になっているのです。

私たちが生きる現代社会は、そのときどきの流行で重視される価値観が大きく変化しているように見えるかもしれません。しかし、所得の豊かさから生活の質の重視へ、という人間の価値観の変化はこの数十年変わっていないと言えるでしょう。